日本の学校がもたらす商業的弊害
日本の学校は軍隊か刑務所
dennou_kurage さんの記事はいつも面白くよく拝見させてもらっているのですが、今回もとても面白いお話でした。 集団のルールを重要視するあまり極端に標準化を強制する学校教育が、多様性を拒否する日本のブラック企業を構成しているのではないかという記事です。私もこの記事に非常に共感したのですが、このような教育がもたらす労働形態的な弊害に加えて商業的な弊害も思い浮かびました。
こうしたコンサバティブな日本企業の体質はまさに教育の体質と同じなのです。皆が同じ制服を着て同じ時間に当校し同じ授業を受けて同じ時間に帰る、こうした標準化を強制する教育体系がイノベーションを阻害しているのです。
現代社会では世の中の複雑化に伴って多様性を容認していく必要があります。モノのない時代では効率よく大量の製品を作ることが必要とされました。その結果規律によってがんじがらめにされた組織が求められました。たしかに「集団のルール」や「規律」を徹底的に叩き込まれた日本人は勤勉でよく働きます。それが戦後日本の経済成長を支えたということは事実だと思います。しかし現代はモノが溢れ消費者に選択権がある時代なのです。このような時代でモノを売るためには明確な差別化商品(サービス)が必要になってくるのです。そのため規律によって同じ考え方しか持たない組織ではなく、むしろ様々な考え方が混在する多様性が尊重された組織が求められるのです。つまり大量生産の時代の教育が「教育の在り方1.0」と名付けるとしたら、現代のモノが溢れている時代では「教育の在り方2.0」以降の教育を行わなければならないのです。
多様性を尊重するとすれば、「ゆるく部活をしたい」とか、「働きたくない」といった考え方も十分価値のある考え方です。しかしながら日本の教育は上述の記事にあるようにやたらに「集団のルール」と「規律」を押し付けます。こうした多様性の拒否がイノベーティブな企業の進化を阻害しているのではないかと思います。